2024/10/30

今日文章3つ書きたい

自意識過剰な人間は自分が自意識過剰であるかどうか悩んでしまうくらい自意識過剰なのだと思う。

僕はそう。

この続きに何を書きたかったのか思い出せないので、次へ。


今の僕は、しばらく小説とか物語を書くのは無理そうだなと思っている。

書きたいのはハッピーエンドなのに、自分の生命がハッピーエンドになると思えないから。

自分が努力しても良い結果にはならないし、良い結果にならなかった時に、自分の努力を認められなさそうだから。

良い結果にならなかった理由を、自分が本気でやらなかったからだと思ってしまいそうだ。

ハッピーエンドを自分が書くのもなぜか恥ずかしいし、想像もできない。

次へ。


最近は、落ち込んでる瞬間が少ないし、短い。

去年の自分と比べたら、だいぶ違っていると思う。

でもそれは少しだけ忙しいからとか、考えてる時間が短いからのような気がする。

奥底は変わってなくて、その奥底を見ている時間を減らすような環境を作っているだけの気もする。

そしてその状況、奥底を見ない状況を、僕はあまりよく思っていない。

奥底を見ているときは絶対に幸せではないけれど、奥底を見ないようにして過ごす僕は理想の僕とは違う気がする。

次へ。


ハッピーエンドを迎える主人公は、もう奥底を怖がらないでほしい。

何があっても、もう一度奥底を見ても、また前を向けると確信したなら、それはハッピーエンドと呼べる気がする。

次へ。


僕が前に小説とか書いていたとき、もうひどく落ち込むことは金輪際ないと思っていた。

あのときの落ち込みは一時的なもので、年齢的に数年無駄にしてしまっていても、その後頑張ればまた並んで走れると思っていた。

でもやっぱりまた落ち込んで、また数年寝込んで。

いま少し元気でも、もう少し経てばまた落ち込んで寝込むのか。

そう思うとまた落ち込んだ。

もう既に僕は、人生の半分以上を薬とともに過ごしている。

でも障害や病気で学校に来られない人もいる。

貧困で苦しむ子どもも、防空壕の中で赤子を殺した親も、生まれる前に死んだ命も、玄関の前のナメクジも、殺虫剤で一掃されたコバエも、意識があるのに気づいてもらえない植物状態の人も、いる。

この世には平等も公平もないし、人生の幸福の総量とか、いまどん底だからこれから良い方にしかいかないとか、善行は返ってくるとか、天国から見守ってるとか、心のなかで生き続けるとか、全部夢物語で、小細工で、気休めで、騙してるだけだ。

そういうことをひとつずつ知って、積み上げて、自分を相対化したり、絶対化したりして、自分には不要なものだと切り捨てて、自分が切り捨てたという事実を切り捨てて、切り捨てられないものもあって、

お葬式で、泣けなかったことと、その後何度も夢に見ることと、他者の視線と、僕の軸と、全部がぐちゃぐちゃになったりして、

僕の人生は物語じゃないし、この世界の人間全部の人生は物語じゃないし、体験できるのは僕の人生だけなのに。

明日、ゆっくりと目が覚めてから、朝と昼と兼用の何かを食べて、外出して、帰ってきて、寝る。

その中にここに書かれた考えは多分なくて、奥底のことは気にしないまま、日々が過ぎて。

最近僕は、少しずつ自分の脳が衰えているような気さえします。

3つじゃ全然足りなかったな。